• 6月21日 ロイヤルオペラハウスでコリン・デイヴィス指揮「フィガロの結婚」。ロイヤルオペラは今年「フィガロ」のプロダクションを変えて、2月にパッパーノで初演、今回はデイヴィスでの再演。至上の音楽に、モーツァルトスペシャリストと呼ぶべきデイヴィスですよ(イギリスではそう思われている)。オケの調子は良くないし、歌手も「超一流」どころはいなかったのだけど、デイヴィスの解釈、指揮に泣きそうになりました。全般的には軽いノリなんだけど、盛り上げるところはしっかりやる。要するにツボを完璧に分かってるんだろうね。内田光子が客席にいた。隣のゲイのカップルと楽しそうに話していた。

非常勤で勤めているカレッジで、卒業試験が終わった「哲学・政治学・経済学」コースの学生と担当教員との食事会。この学年は経済学の学生の試験対策でちょこっと教えただけなのだけど、一応招かれたのでスーツを着て出かける。まあ日本で言う「謝恩会」みたいなものかな。普通にカレッジの部屋でやるんだけど。
一通りコースの食事が終わると、哲学の教授が「では、これから伝統のゲームを行います」と言っておもむろにいくつかのファイルを取り出す。これは食事会に来ていた学生個人個人の入試から卒業までの記録が入ったファイルなんである。
んで、そこから個人名は一応伏せて、高校の先生からの推薦状と、入試志望動機書をまさに「朗読」。これには大笑い。推薦状の方はベタボメしてあるだけなので大して面白くないけど、志望動機はあらゆること(ボランティア活動とか、バイトとか)が誇張して書いてあったり、18歳の子が「哲学・政治学・経済学」に対する思いを熱く語っていて、めちゃくちゃおかしい。大体推薦状を読んでいる段階で誰かは特定できるんだけど、その後は本人もう赤面するしかなし、といった感じ。
この大学の入試プロセスでは面接がとても大切なので、志望動機書は面接の内容を左右するだけに、志望者はみんな気合を入れて書くわけですよ。ある子なんかは政治学と経済学を学ぶことがいか社会政策にとって大切かを力説していて、それを教授がわざと首相の国会答弁風に読み上げる。そうすると、みんなで "hear hear hear!" (イギリスの国会での肯定的なヤジ文句)とか言って、面白いったらありゃしない。
そんなこんなで、7時頃から始まった食事会は、夜中の12時あたりまでまったり進行。この大学には変な行事が色々あって、でも合計6年もいるとあんまり「おーっ」って思うことも無くなるんだけど、今回は久々に新鮮でござんした。この大学にもそう長くはいられないと思うけど、一応教員としてこういうことに参加できるのって貴重な体験なんだろうなあ、と思ったり。

何故おいらなのか知らんが、今学期教えたアメリカ人のvisiting student の女子に就職活動用の推薦状を頼まれたので、1週間うっちゃっておいた末に執筆。まあ、良い成績つけたから有利なこと書くと思ったんだろうなあ・・・。
んでネット上の例文とか見ながらお茶を濁そうと思ったんだが「イギリスとアメリカの大学のシステムの違いも説明してくれ」とか「個人的な情報を入れろ」とか注文が多いので、結局書き出し(「○○君の推薦状を書くことができて光栄です」みたいなやつ)しか参考にならない。
まあとりあえず格好はつけたけど(もちろんベタボメ)、うー、この労働に賃金は出ないのか〜!
それにしても、アメリカやイギリスだと学生が就職活動する場合「先生の推薦状」を要求されることが多いらしいんだが、どの程度参考になるのかね。おいらとしては、甚だ疑問だよ。でも、ウソは書いてないよ。

zappa さんのところの「おかあさんといっしょ」のエントリーで思ったんだが、どうなんだろうね。考えてみりゃこの番組名からしてスゴイ。
まー昔からある話で、ぢやぁ「男手一つで」とか、その他の家族のあり方を否定してんのかヲラ!ということなんですが。価値観や家族のあり方はいろいろあるわけで、戦後たまたま出てきたような家族の形式を押しつけるのは如何なものか、という訳ですが。
・・・の一方でさ、「もし可能であれば」の話、肉親であるところの健康な両親がいて、仲が良くて、どちらかないしは両方とできるだけ多くの時間が過ごせて、祖父母とも緊密で、というカタチが「ベスト」である、という価値観は(それがどんなに歴史的、社会的には相対化されなくてはならないとしても)、むしろ支持されて然るべきものではないかと思う。「理想型」として積極的にプロモートされても良いものなんじゃないかと思う(それが子供向け番組においてなされるべきか、というのは難しい問いだけれども、かといって高校になって教えられることでもないだろう)。
しかしだ、そこにはzappa さんや他の多くの識者が指摘するところの陥穽があって、「理想型から外れるのは『悪い』、『劣っている』」という価値判断がしばしば付いてきてしまう訳だ。「じゃあ、養父母に育てられるのはいかんのか」とか「男手一つじゃいかんのか」とかそういう話。特に子供の立場からは選択の余地が無いわけで、本質的に「良い悪い」のハナシではない(無論、親の立場からしても選択肢が限られている場合が多い)。
その辺に、古くさいことを言うおじさんおばさんと、多様な価値観(わはは)を認める人々とのかみ合わないギャップがあるんだろうな。
要するに、経済的、状況的に可能である限り、「理想型」に近づける努力は社会として評価、推奨するべきであり、しかしながら、その努力の「結果」に対する評価はいかなる場合においても外部がするべきではない、というのが僕の見解である。まあそういうことが難しいから、問題になるんだけど。
もっとも、zappaさんのところで引用されていた話は(あらすじだけ読む限りでは)ひどすぎますが。

↓んで初めてサポートにメール(「Ping が送信されないよ」という内容)をしてみたら、意外と早く回答があった。んで、直ってた。ここのところPing だけでなく不安定なことが多いんだけど、全ての利用者に、という訳ではない様子。