と言うわけで、前日は勝手に「休日」に指定し(とはいえ、数学が苦手な学生に数学を教える授業があったが)、朝からだらだらしたうえリッカルド・シャイー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラでマーラー7番(1曲のみ)。シャイーを生で聴くのは初めてだったので、期待が膨らんだ・・・。

というのはウソで、シャイーのマラ7はCDで聴く限りテンポが遅すぎて、ちと好みではなかったんである。マラ7と言えば何せ去年の夏に、スイスのルツェルン音楽祭でクラウディオ・アバドの快速爆演(?)を聴いて滅茶苦茶感動しただけに、「ま、あれほどのことはねぇだろう」と高を括っていたのである。

ところがどうして、シャイーのマラ7もすごかった!テンポは徹底的に遅めなんだけど、リズムの取り方がとても強く特徴づけられていて、この交響曲の持つ前向きな、明るい、躍動的側面が全く失われない。と同時に、遅いテンポによって、別の側面、つまり、おどろおどろしさとや、ミステリアスさが、混沌さが、無理なく、じっくり表現される。CDでは遅いだけだと思っていたんだけど、生で聴くと全く印象が違うのである。

たぶん、この裏にはシャイーの相当に緻密な計算があるんだと思う。リズムの取り方一つにしたってそうだし、ダイナミクス(音の強弱)の効かせ方、対位法的ディテールの出し方、テンポの揺らし方、どれを取ってもタイトにコントロールされ、それに対してオーケストラが忠実に答えていた。指揮ぶりを見ていても、指示がものすごく細かそうだったし。そういう計算のなかから、さらにマラ7の「ノリの良さ」を「自然」な形で表現する。これを遅いテンポでやるのは名人芸じゃね。

「タイトに制御されている」という印象は先シーズンにLSOで聴いたブーレーズのマラ7にも通じるところがあるんだが、彼のマラ7はあまりに理路整然としすぎていて、確かに聴いていて充実感があるんだけど、興奮はしない。そこのところ、シャイーはマラ7の渾然とした魅力を十分引き出してくれるわけですよ。特にティンパニーの使い方とか、すごくオーバーだし、何というか、「安っぽく」聞こえることをも決して恐れないというか。

まあ、何十回も通っているバービカンのあの雰囲気で、ルツェルン音楽祭みたいな特別な場のような感動をするのはなかなか難しいのだけど、ともかく素晴らしいマラ7解釈で、それに十分答える演奏。とても深い満足感が得られるコンサートでありました。