日本で教えている大学教員のブログを見ていると「学生がインターネットの文章などを貼り付けてレポートにして出してくる」ちゅうのが時々あって、昨日久々に学部生のレポートを採点しながら考えてみた。

ちなみに、レポート(「エッセイ」と呼ばれる)の課題の一つは
「高等教育対して、学生はどの程度費用を負担すべきか?」
というもので、最近になって大学生も学費を払うようになったイギリスでは、一応ホットな話題である。というか、僕自身が興味があったので、そういう課題にしたんである。これを1000語(たぶん日本語だと3000字強に相当、これは短い部類に属する)で書かせた。当然、経済理論と実証研究を混ぜながら議論することになっている。

よくネット上でも議論になる話なので、貼り付けるネタはありそうなもんだが、やっぱりどう考えても「切り貼りするだけでも大変」である。まずもって、(元ネタは何にせよ)筋の通った議論をするのに学生が苦労しているのが、読みながらよく分かる。考えてみれば、いろんな素材はネット上にあったとしても、指定語数に従って、イントロから書き起こし、主要概念を定義し、理論を紹介し、実証研究を俯瞰して、アセスメントをして、結論づける、んで随所に「自分の見解」を入れる、というのは結局のところ楽ではない。

だから、書かれているのが本当に本人の意見であろうが、ネットで拾ってきたものであろうが、よく理解している学生のレポートは筋が通っていて(たまに)面白いし、そうでない学生のレポートは筋が通らなかったり、設問にちゃんと答えてなかったりする。そう考えれば、別に彼らは研究論文を書いているわけではないのだから、議論がオリジナルなのか、それともウェブで拾ってきたものなのか、という区別はどーでもよい気がする。

思うに、レポート(というか文章)を書かせることの目的は、その内容はともかく、筋の通った議論を展開することである。じゃあ、僕が日本でそういうことを大学で教わったか、というと、そういう記憶はじぇんじぇん無いのである(1年生から3年生までは全出席を通したけどね)。

確かに、「レポートの書き方」みたいな本はあるし、授業もあったんだろうけど、ハッキリ言ってつまらないわけよ。別に自分の興味のない分野について、調べたくも書きたくもないし。それに、やっぱり自分の興味のある分野をある程度知っている人に見てもらわないと、つまらない。

だから、ある専門分野をやった人が、その分野で書かれたものに対して、コメントなりレポートの書き方の指導なりをするのが良いんだと思う。そうすりゃ、切り貼り、盗作は歓迎よ。盗作に値するような素材を見つけてくるだけでも、大切なスキルだし、結局知識が自分のものになっているかどうかなんて、すぐに分かるし。

ま、そんな理想は分かり切ったことであって、問題はほとんどの場合に「それだけの指導をしている時間も余裕もない」というところに行き着くんだろうけどね。